⚜ サン・ジャン大聖堂

ルイ14世の祖父にあたるブルボン朝の開祖アンリ4世は、カトリックとプロテスタントの長きにわたる対立、ユグノー戦争を終わらせたことで知られる人物です。彼はルーヴル宮を増改築し、セーヌ川にポン・ヌフ橋をかけるなど、36年もの争いで荒んだ都パリの再構築に努めました。その仕事ぶりから「善王」の誉れ高いアンリ4世は、「太陽王」ルイ14世に先立つ「大王」でもあり、色ごとに関してもまた、たいそうな振る舞いが伝えられています。

作者不明(フォンテーヌブロー派)《ガブリエル・デストレと妹のヴィヤール公爵夫人の肖像》v.1594

実は、プロテスタントであった王が正式にカトリックに改宗し、「ナントの勅令」によって信仰の自由を認めて国の統合を果たしたのも、深く愛した妾、ガブリエル・デストレの意見を容れたからに他なりませんでした。上はこの知的で美しい女性(右)とその妹を描いた肖像で、妹が姉の乳首をつまむ独特の仕草は、ガブリエルの妊娠を暗示しているとされます。

リヨンのサン・ジャン大聖堂、筆者撮影(2013年8月)

愛妾との結婚を目論んで、最初の妃マルグリット・ド・ヴァロワとの婚姻関係の解消を望んだ王でしたが、離婚が成立した頃には、急死したガブリエルに代わって、すでに新たな愛妾ができていました。そんな中で王が名門メディチ家からマリー・ド・メディシスを妃に迎えたのは、当初、もっぱら持参金が目当てでしたから、リヨンのサン・ジャン大聖堂で正式に結婚式を挙げた後すぐに世継ぎを妊娠することができたのは、マリーにとって幸いなことでした。

Peter Paul Rubens《リヨンでのマリー・ド・メディシスとアンリ4世の対面》1621-1625

後にマリー自身の依頼によってルーベンスが手がけた連作の中で、王と新王妃のリヨンでの顔合わせの場面が寓意的に描かれていますが、画家が気の多い大神ゼウスとその正妻ヘラにふたりを擬えたのも、こうした背景を鑑みれば納得でしょう。

ちなみに、アンリ4世のもうひとつの呼称は « le Vert Galant »(緑の色事師)。マリーと結婚した時、王はすでに齢も熟し、白髪混じりの髭は光の具合によって緑色にきらめいていましたが、その情欲の炎は生涯衰えることがなかったようです。