II-10. トロイの木馬

ヘトヘトに倦み疲れたところで、突如として目の前に希望が現れたのなら、一度ならず目をこすって、よくよく確かめてみましょう。

いっぱいいっぱいの状態では尚のこと、正常な判断が難しくなるものですから。

戦争は長きに渡りましたが、トロイアの陥落はあっけないものでした。それは、難攻不落のトロイアを前に、ギリシアの勢いが失せたように思われたある日のこと。夜が開けると、忽然と静まり返った戦地に、巨大な木馬が現れました。傍らにはギリシア人がひとり。聞けば、彼は神々の怒りを鎮めるための供物として取り残されたのであり、木馬は退却したギリシア勢から女神アテナへの捧げ物だというのです。木馬をこれほど大きく造ったのは、アテナの加護をもたらすと予言されたこの木馬を、トロイア人が城内に引き入れることのできないようにするためだ、と。これを訝しみ異を唱えた者が公衆の面前で蛇に襲われるという災難に見舞われたのもあって、トロイア王は男の証言をすっかり信じます。

Giandomenico Tiepolo《トロイの木馬の行進》v.1760

人々は城壁を破壊して木馬を運び込み、勝利の宴を挙げました。その晩、辺りがすっかり寝静まった頃。木馬の腹を裂いて、ギリシアの英雄たちが飛び出しました。これがトロイアの最後となったのです。このことから、「悪意のある贈り物」や、いわゆる「潜入工作」のことを « le cheval de Troie » (トロイの木馬)と呼ぶようになりました。

II-9. アキレウスのかかと

守ってくれる人、助けてくれる人、支えてくれる人。周りを見渡してみると、どこかにぬくもりが感じられるのではないでしょうか。

しかし誰しも完璧ではいられないもの。

優しさに恵まれていても、油断は禁物です。

戦場に戻ったアキレウスは数々の武勲を立てます。ところが、この英雄には唯一の弱みがありました。というのも、アキレウスが生まれた時、女神テティスは自らが産んだこの子を不死の身体に仕立てようと冥界の河に浸しましたが、彼女がつかんでいたかかとだけが水に触れず、生身のままに残ったのです。

Antoine Borel《息子アキレウスをステュクス川の水に浸すテティス》18世紀

このことから、 « le talon d’Achille »(アキレウスのかかと)、すなわち「アキレス腱」に当たる部分が、「弱点」、「急所」を指す慣用表現となりました。『イリアス』においてアキレウスは親友の仇ヘクトルを討ち取りますが(参照:テントに引きこもるアキレウス)、叙事詩が幕を下ろした後、やがて、パリスにかかとを射抜かれて深手を負い、命を落とします。

II-8. テントに引きこもるアキレウス

燃えたぎる怒りをそのままにしておくと、どんどん膨れ上がり、気付いた時にはその火種が何だったのかわからなくなってしまっていることもしばしば。

見境なく燃え広がる怒りの最中にあっては気付けないかもしれません。一番身近にある、大切なものに火の粉が降りかかっていることに。

古代ギリシアの詩人、ホメロスの叙事詩『イリアス』にちなみ、「英雄的な」、「劇的な」ことを形容して « homérique »(ホメロス的な)と表現することがあります。トロイア戦争を描いた作品として誉れ高い『イリアス』ですが、この大叙事詩が幕を開けるのは、戦争が始まってから10年目、すなわち、最後の1年に突入してからのことなのです。

素描、アキレウスとブリセイス(作者不詳)、1790年頃

物語はギリシアの豪傑アキレウスの「怒り」に焦点を当てて展開します。彼の怒りの契機は、妾として愛していた女奴隷ブリセイスを自軍の総大将アガメムノンに奪い取られたことでした。怒れる英雄が自身の陣営に引きこもって出て来なくなってしまい、ギリシア側は次第に窮地に追いやられていきます。 « se retirer sous sa tente »(自分のテントに引きこもる)という表現はこの時のアキレウスの様子を指し、「怒りにまかせて大義名分を投げ打つ」ことや、「すねて孤立する」ことを意味します。

アキレウスの怒りは、アガメムノンの謝罪を受けても尚収まることはありません。ギリシア勢の惨憺たる敗北を見かねた英雄の親友パトロクロスは、英雄の鎧を借り受けて自らが出陣します。敵を薙ぎ倒し、トロイア城下まで突き進んだこの果敢な青年にとどめを刺したのは、トロイアの勇将ヘクトルでした。アキレウスは怒りの矛先を親友の仇へと差し向け、再び戦場に戻ることとなります。

Gavin Hamilton《パトロクロスの亡骸に嘆くアキレウス》1760-1763

II-7. カッサンドラを演じる

時に正論ほど反感を買うものはありません。

それに、一人がいくら正義を唱えたとて、その他大勢が義に反して団結したなら、そちらがまかり通ってしまいます。

向かう先の破滅は、勢いづいた人々には見えていないのですから。

悲惨な戦争の始まりを予言して、パリスのヘレネ略奪に対し異を唱え続けた人物がいました。パリスの妹、カッサンドラです。彼女はかつてアポロンに言い寄られた際、この神から予言の能力を授かりましたが、その能力で自らがアポロンに捨てられる未来を見てしまい、関係を持つことなく彼を拒絶します。アポロンは全くもって納得いきませんから、腹いせに、彼女の予言能力に「誰にも信じられない」という運命を付け加えてしまいます。

このことから、 « jouer les Cassandre »(カッサンドラを演じる)という表現は、「耳触りは良くないけれども正しい予言をし、人々に受け入れられない」ことを意味します。

Jérôme-Martin Langlois《ミネルヴァにアイアスへの復讐を乞い願うカッサンドラ》1810

乙女の瞳は、自らの辿るむごい未来を見つめて、何を想うのでしょうか。

II-6. ステントールの声

辛い時、思いもよらず力強い声援が得られることがあります。

発破をかけてくるその声は、苦難の最中にあってはうるさくも感じられるでしょう。

でも、いつか乗り越えた先で、あの一声にどんなにか励まされたものかと、懐かしく振り返ることになるかもしれません。

Charles Antoine Coypel《アキレウスの怒り》1737

トロイアの王子パリスは、黄金のリンゴをアフロディテに渡してこの女神を味方につけたものの、手強いふたりの女神、ヘラとアテナの恨みを買うことになりました。トロイア戦争中、軍神アテナは前線でギリシアの英雄を庇護し、その傍に立って活躍します。神々の王たるゼウスの妻であるヘラは、基本的には交渉役として後方支援に回りますが、一時、居ても立っても居られずにステントールという名の英雄の姿をとって現われ、ギリシア勢を鼓舞しました。その声は50人分の声を束ねたような大きさで響き渡ったといいます。

このことから、 « avoir une voix de stentor »(ステントールの声を持つ)という表現は、「恐ろしい程の大声である」ことを意味します。

II-5. 羊飼いのリンゴ

あれもいい、これもいい。どれかを諦め、どれかを選び取らなければならないこともあるでしょう。

そんな時、目の前にある選択肢が美味しそうに見えるならば尚のこと、慎重な判断が求められます。

若気の至りでは済まされない、人生の岐路になる選択かもしれませんから。

ギリシア全土の王侯が参戦し、10年に及ぶこととなる大戦、トロイア戦争の端緒は、英雄ペレウスと女神テティスの婚礼での出来事でした。この花嫁は、ゼウスがプロメテウスの忠告を受けて手を引いた、あの海の女神です(参照:I-4. プロメテウスの企て)。

Cornelis van Haarlem《ペレウスとテティスの婚礼》1593

婚礼にはあらゆる神々が集いましたが、不和の女神エリスは招待されませんでした。怒ったエリスは、「最も美しい女性へ」と刻まれた黄金のリンゴをひとつ式場に投げ入れます。たちまち女神たちによるリンゴの取り合いになりますが、ゼウスは、正妻ヘラ、お気に入りの娘アテナ、そして「美」の女神たるアフロディテの中からひとりを選ぶなどという面倒な責任を自分では負いたくありませんから、審判を羊飼いパリスに委ねることにしました。この若者に、3人の女神はそれぞれ旨い話を持ち掛けます。ヘラは全アジアを統べる権力を、アテナは戦の勝利と知恵を、アフロディテは人の世で一番美しい女と名高いヘレネを、リンゴと引き換えに与えることを約束しました。

Antoine Watteau《パリスの審判》v.1718-1721

パリスが選んだのは美女でした。こうしてアフロディテの助力を得たパリスは、すでにギリシアのスパルタ王妃となっていたヘレネを略奪します。かつてヘレネを得るべく名乗りを上げたギリシアの諸王は、求婚の条件として、この絶世の美女とその夫となる人物に生涯の忠誠をあらかじめ誓っていたので、パリスは全ギリシアを敵に回すこととなります。ところがじつは、この浮かれた若者の素性は、小アジアの都市国家トロイアの王子なのでした。こうしてギリシア対トロイアの争いが幕を開けます。

このことから、「些細な選択の結果悲惨なことが起こる、そのきっかけの出来事」を、 « une pomme de discorde »(不和のリンゴ)、または « le jugement de Pâris »(パリスの審判)と呼ぶようになりました。