II-7. カッサンドラを演じる

時に正論ほど反感を買うものはありません。

それに、一人がいくら正義を唱えたとて、その他大勢が義に反して団結したなら、そちらがまかり通ってしまいます。

向かう先の破滅は、勢いづいた人々には見えていないのですから。

悲惨な戦争の始まりを予言して、パリスのヘレネ略奪に対し異を唱え続けた人物がいました。パリスの妹、カッサンドラです。彼女はかつてアポロンに言い寄られた際、この神から予言の能力を授かりましたが、その能力で自らがアポロンに捨てられる未来を見てしまい、関係を持つことなく彼を拒絶します。アポロンは全くもって納得いきませんから、腹いせに、彼女の予言能力に「誰にも信じられない」という運命を付け加えてしまいます。

このことから、 « jouer les Cassandre »(カッサンドラを演じる)という表現は、「耳触りは良くないけれども正しい予言をし、人々に受け入れられない」ことを意味します。

Jérôme-Martin Langlois《ミネルヴァにアイアスへの復讐を乞い願うカッサンドラ》1810

乙女の瞳は、自らの辿るむごい未来を見つめて、何を想うのでしょうか。

II-6. ステントールの声

辛い時、思いもよらず力強い声援が得られることがあります。

発破をかけてくるその声は、苦難の最中にあってはうるさくも感じられるでしょう。

でも、いつか乗り越えた先で、あの一声にどんなにか励まされたものかと、懐かしく振り返ることになるかもしれません。

Charles Antoine Coypel《アキレウスの怒り》1737

トロイアの王子パリスは、黄金のリンゴをアフロディテに渡してこの女神を味方につけたものの、手強いふたりの女神、ヘラとアテナの恨みを買うことになりました。トロイア戦争中、軍神アテナは前線でギリシアの英雄を庇護し、その傍に立って活躍します。神々の王たるゼウスの妻であるヘラは、基本的には交渉役として後方支援に回りますが、一時、居ても立っても居られずにステントールという名の英雄の姿をとって現われ、ギリシア勢を鼓舞しました。その声は50人分の声を束ねたような大きさで響き渡ったといいます。

このことから、 « avoir une voix de stentor »(ステントールの声を持つ)という表現は、「恐ろしい程の大声である」ことを意味します。

II-5. 羊飼いのリンゴ

あれもいい、これもいい。どれかを諦め、どれかを選び取らなければならないこともあるでしょう。

そんな時、目の前にある選択肢が美味しそうに見えるならば尚のこと、慎重な判断が求められます。

若気の至りでは済まされない、人生の岐路になる選択かもしれませんから。

ギリシア全土の王侯が参戦し、10年に及ぶこととなる大戦、トロイア戦争の端緒は、英雄ペレウスと女神テティスの婚礼での出来事でした。この花嫁は、ゼウスがプロメテウスの忠告を受けて手を引いた、あの海の女神です(参照:I-4. プロメテウスの企て)。

Cornelis van Haarlem《ペレウスとテティスの婚礼》1593

婚礼にはあらゆる神々が集いましたが、不和の女神エリスは招待されませんでした。怒ったエリスは、「最も美しい女性へ」と刻まれた黄金のリンゴをひとつ式場に投げ入れます。たちまち女神たちによるリンゴの取り合いになりますが、ゼウスは、正妻ヘラ、お気に入りの娘アテナ、そして「美」の女神たるアフロディテの中からひとりを選ぶなどという面倒な責任を自分では負いたくありませんから、審判を羊飼いパリスに委ねることにしました。この若者に、3人の女神はそれぞれ旨い話を持ち掛けます。ヘラは全アジアを統べる権力を、アテナは戦の勝利と知恵を、アフロディテは人の世で一番美しい女と名高いヘレネを、リンゴと引き換えに与えることを約束しました。

Antoine Watteau《パリスの審判》v.1718-1721

パリスが選んだのは美女でした。こうしてアフロディテの助力を得たパリスは、すでにギリシアのスパルタ王妃となっていたヘレネを略奪します。かつてヘレネを得るべく名乗りを上げたギリシアの諸王は、求婚の条件として、この絶世の美女とその夫となる人物に生涯の忠誠をあらかじめ誓っていたので、パリスは全ギリシアを敵に回すこととなります。ところがじつは、この浮かれた若者の素性は、小アジアの都市国家トロイアの王子なのでした。こうしてギリシア対トロイアの争いが幕を開けます。

このことから、「些細な選択の結果悲惨なことが起こる、そのきっかけの出来事」を、 « une pomme de discorde »(不和のリンゴ)、または « le jugement de Pâris »(パリスの審判)と呼ぶようになりました。

II-4. ネッソスの衣

ヘラクレスがこの世で迎えた最期は痛ましいものでした。

最強の英雄を自ら死に向かわせるほどの痛みを引き起こしたのは、妻が差し向けた「恋の薬」だったのです。

心を引き裂くような激しい恋情は、相手を縛り、苦しめる呪いになりかねません。

オムパレへの奉公期間を終えた後、幾多の冒険を経たヘラクレスは、カリドンの王女デイアネイラを三番目の妻に迎えます。ある時、ヘラクレスが妻と息子を伴ってエウエノス河を渡る際、渡し守であったケンタウロス(馬の四肢に人間の上半身を持つ半獣人族)のネッソスが妻を犯そうとしたので、ヘラクレスはこれを矢で射抜きました。ネッソスは事切れる寸前に、自分の血液と精液を混ぜたものが強力な恋の薬になるとデイアネイラに言い含め、信じた彼女はそれを秘かに取っておくことにしました。

オウィディウス『変身物語』、第9巻、99-133行、Wilhelm Baur (1600-1640) による挿絵《ヘラクレス、ネッソスとデイアネイラ》

時は流れ、ヘラクレスはオイカリアを攻略し、王女イオレを捕虜としました。これを知ったデイアネイラは、夫の愛を失うことを恐れて、ネッソスの体液を夫の下着に染み込ませてヘラクレスに送りつけます。ヘラクレスが何の疑いもなくそれを着ると、ゆっくりと「薬」が効き始めました。布は皮膚にこびり付き、剥がそうとすれば肉もろとも崩れ落ちます。デイアネイラが恋の薬と信じたネッソスの体液には、ヘラクレスがこれを射抜いた矢尻に塗り込まれたヒュドラの猛毒が含まれていたからです。英雄を苦しめたこの « la tunique de Nessus »(ネッソスの衣)は、「毒入りの贈り物」、あるいは抽象的に「心を引き裂くような情熱」、「精神的な束縛」を意味する表現になりました。ヘラクレスは無惨な姿のまま妻の元に運ばれ、デイアネイラは自らがしでかしたことを悟って首をくくりました。

Samuel Morse《死にゆくヘラクレス》v.1812

痛みに耐えかねたヘラクレスは山の頂に薪を積んで横たわり、火を点けるよう頼みましたが、誰もがそれを渋ります。ただひとり、通りかかったポイアスがその役目を引き受け、ヘラクレスは謝礼として自分の弓矢を彼に与えました。この弓矢は後にポイアスから息子ピロクテテスの手に渡り、トロイア戦争で活躍することになります。

一方、燃え盛る炎の中から、雷鳴と共に舞い降りた雲によって天に運び上げられたヘラクレスは、ヘラと和解して親子の契りを結び、その名に相応しく神々の仲間入りを果たしました。というのも、かつてアポロン神殿の巫女たちが彼に与えた「ヘラクレス」の名の意味するところは、「ヘラの栄光」だったのです。

II-3. 糸を紡ぐヘラクレス

幾多の怪物を蹴散らしたヘラクレスでも、まるで歯向かうことのできない相手がこの世に存在しました。

百戦錬磨の英雄を飼い慣らしたのは、魔法も神技も持たない、とある女性だったのです。

神託に従って12の功業を成し自由の身となったヘラクレスでしたが、ヘラの恨みは根強いものです。再び狂気に囚われ、友人であったオイカリア王子イピトスを殺してしまいます。この罰として、今度は奴隷として身を売られることになりますが、この時ヘラクレスを買ったのがリディアの女王オムパレでした。彼女はその素性がかの英雄とは知らず、なかなか専横な女主人としてこの立派な風格の奴隷を尻に敷きます。

François Lemoyne《ヘラクレスとオムパレ》1724

後代の作家たちの伝えるところによると、女王のそばに侍る時、英雄の猛々しさは息を潜め、オムパレはヘラクレスから取り上げたライオンの毛皮を羽織り棍棒を持って男のように振る舞い、一方でヘラクレスは女王から借り受けた女の衣をまとって糸紡ぎに勤しむという有様だったといいます。 « filer doux »(おとなしく糸を紡ぐ)という表現はこのヘラクレスの様子からきており、「従順な振る舞いをする」、「言いなりになる」、「おとなしく従う」という意味になります。

とはいえ、その間にも外で数々の仕事をこなしたヘラクレスは、やがてオムパレに認められ、正体をあらわにして夫となり、リディアで穏やかなひと時を過ごすのでした。

II-2. ヘラクレスの大掃除

超人ヘラクレスの武勇伝は挙げればキリがありません。

突き抜けた才能は、爽快なまでに鮮やかに、思いも寄らない方法で人々の悩みの種を解消してしまうものです。

英雄の手にかかれば、大掃除もスケールが違います。

蛇を絞め殺す幼ヘラクレス、ローマの大理石彫刻(2世紀)

例のごとく、ゼウスが他所の女に孕ませた子に対するヘラの恨みは凄まじいものです。その程はといえば、出産の女神に頼んでこの子の誕生を遅らせたばかりか、まだ生まれたばかりの赤ん坊のゆりかごに蛇を投げ入れるような次第です。あろうことか、赤ん坊の方が蛇を絞め殺してしまったのですが。

ヘラクレスは成長し、テバイの王女メガラを妻として、 3人の子供にも恵まれました。それを見たヘラが黙ってはいません。女神に狂気を植え付けられたヘラクレスは、我が子らを火に投じて殺めてしまいます。彼は正気に戻ると、犯した罪を悔やみ、自ら追放の身となります。その後どうしたものかとアポロン神殿に赴き神託を伺ったところ、12年間ミケナイ王エウリステウスに仕え、命じられた仕事をこなすよう告げられたのでした。

Peter Paul Rubens《ヘラクレスとネメアのライオン》17ème siècle
Gustave Moreau《ヘラクレスとレルネのヒュドラ》1876

ヘラクレスは不死身の人喰いライオンを窒息するまで締め上げ、ひとつ頭を落とせばふたつ頭が生えてくる巨大な海蛇の怪物ヒュドラを大岩の下敷きにし、次々と偉業を達成していきます。こうして彼が成した12の功績を踏まえて、 « un travail d’Hercule »(ヘラクレスの仕事)という言葉が「尋常でない大業」を意味する表現になりました。

英雄が片付けたのは怪物だけではありません。彼の大仕事のうちひとつが、エリス王アウゲイアスの家畜小屋の掃除でした。この王は3000頭もの牛を所有していましたが、その小屋は30年間掃除されておらず、惨憺たる状態でした。ヘラクレスは、付近を流れるふたつの川の流れを捻じ曲げ、小屋に貫通させることで、これをたった一日で掃除してみせたのでした。このことから、 « nettoyer les écuries d’Augias »(アウゲイアスの家畜小屋を掃除する)という表現は、すなわち「腐敗したところを一掃する」という意味になります。

II-1. アンフィトリオン

神々に劣らずギリシア神話の多くの部分を彩るのが英雄たちです。英雄は神の血を引くものの、基本的にはあくまで人間と同様に寿命を持つ存在です。Mortel(死すべきもの)たる英雄たちの戦いは、Immortel(不死なるもの)たる神々との対比によって、より悲惨なものとして鋭く浮き彫りになります。ここからは、フランス語のイディオムの由来となった彼らの活躍や戦争の動向を追っていきます。

はるか昔、神が人間と交わってこの世に生み出させる英雄は、人々を災厄から救う神の恩寵と見做されていました。後に、神々や英雄は、時の権力者を示すものとして、しばしば芸術作品に描き出されることになります。

ルイ14世が絶対王政を敷いていた17世紀のフランスで、劇作家モリエールは、大神ゼウスのとある恋の物語をおもしろおかしく喜劇に仕立てたのでした。

神話がフランスで独自に変化し言語に定着した一例を紹介します。

ギリシア神話随一の英雄と言えばヘラクレスです。彼は大神ゼウスを父に持ち、その怪力たるや腕力で地を破壊し天を押し上げる程で、神々に引けを取らない超人的存在でした。もっとも、この伝説的な英雄は、死後には神々の列に加わることとなります。これは、そんな英雄の誕生にまつわるお話です。

ミケナイの王族であったアンフィトリオンは、妻となるアルクメネの父であり自らの叔父にあたる王を事故で殺めてしまい、テバイで亡命生活を送っていました。彼はアルクメネの求めに応じ、その兄弟の仇討ちに行きますが、彼が留守にしている間、ゼウスがアルクメネに恋してしまいます。しかし彼女は貞淑な女性であったため、一筋縄ではいきません。ゼウスは夫の姿で彼女に近づくことを思い付き、夜の長さを3倍にしてアルクメネとの逢瀬を楽しみました。翌日、帰宅したアンフィトリオンが共に床についた妻の様子を不審に思い問い質すと、ゼウスが姿を現して事の次第を説明し、彼をなだめたといいます。こうしてアルクメネが孕んだゼウスの子がヘラクレスであり、一晩違いのアンフィトリオンの子イピクレスとは双子の兄弟になります。

Amphitryon (Molière), 1682年版の扉絵

つまるところアンフィトリオンは神によって Cocu(寝取られ男)にされてしまったわけですが、モリエールはこの物語を脚色して喜劇を作りました。その中では、アンフィトリオンに化けたゼウスとアンフィトリオン本人が鉢合わせしてしまいます。この時召使たちは、どちらが本物のアンフィトリオンなのかを見分けようとし、自分たちに食事を振舞ってくれるのが本物の主人である、ということにして二人を観察したのでした。

モリエールのこの作品は大ヒットし、饗宴の場などで美味しい食事を供する「寛大な主人」のことをフランス語で « être un amphitryon »(アンフィトリオンである)と表現するようになりました。

I-12. モルぺウスの腕の中で

夢の神はしばしば眠っている姿で表されます。人間にどんな夢を見せたものか、彼自身が見る夢の中で思案しているのかのようです。

自分がしている仕事は何たるかをその身でしっかり知っていることが、仕事を上手くこなすコツなのでしょう。

休む時はしっかり休むのも大事ですね、休息もまた恵みなのですから。

人間の夢を形作るのは、眠りの神ヒュプノスの3人の子供たちの役割です。動物を見せる「威嚇者」ポベトル、無生物を見せる「仮像者」パンタソス、そして人間の姿を見せる「造形者」モルペウス。

René-Antoine Houasse《イリスが近づいて目を覚ますモルペウス》1688-1689

神々の伝令を務める虹の女神イリスに起こされ、眠たげな顔に腕をかざすモルペウスの背には、大きな翼が見えます。これから彼は、この翼で音もなく羽ばたき、イリスに頼まれた夢の神としての役目を果たしに行くのです。

「ぐっすり眠り込んでいる」ことを、 « être dans les bras de Morphée »(モルペウスの腕に抱かれている)と表現します。なんだか心に残る夢を見たなら、それは神の腕に包まれて寝ていた証なのかもしれません。

I-11. ミューズをからかう

人々に文化的活動を促すのは、9人の女神たちの役割です。

でも、気まぐれな女神たちが降ろしてくれるインスピレーションをぼんやり待っていたら、いつになるかわかりません。

活動を極めたいなら、こちらから女神たちにちょっかいを出すくらいの気概がないといけませんね。

Michel Dorigny《アポロンとミューズたち》v.1640

ゼウスと記憶の女神ムネモシュネの逢瀬の結果、9人のムーサたちが生まれました。音楽をはじめとする種々の技芸に秀でたアポロンの指揮に従うこの女神たちは、人間のあらゆる知的活動を司り、詩人たちを媒体として、芸術の数々をこの世に生み出します。

Pierre Mignard《カリオペ、ウラニア、テルプシコラ》17ème siècle

奥で天球儀に寄りかかり星を読んでいるのが、天文のウラニア。

叙事詩のカリオペは、その傍らで手元の書板に書きつける内容を練っているようです。

こちらを見つめるのは合唱隊抒情詩と踊りのテルプシコラ。その手には立派な竪琴があります。

Eustache Le Sueur《クレイオ、エウテルペ、タレイア》1652-1655

手前から、役者の仮面を大切そうに見つめる喜劇のタレイア。

側の分厚い書物に書き記すべきことが起こるのを静かに待っている歴史のクレイオは、祝福の音を鳴らすラッパを携えています。

抒情詩のエウテルペの吹くふくよかな笛の音が聞こえてきそうです。


Eustache Le Sueur《メルポメネ、エラト、ポリュヒュムニア》années 1650

恍惚の表情で声を震わせる独吟抒情詩のエラト。一般に竪琴を持つとされていますが、ここではヴィオラをかき鳴らしています。

讃歌のポリュヒュムニアは地面に腰を落ち着け、しめやかに譜面に目を落としています。

高貴な面差しをこちらに向けているのは、悲劇のメルポメネでしょう。その額にはぶどうの冠が見えます。

ムーサのことをフランス語ではミューズと呼び、「ミューズが庇護する活動のいずれかを追求する」こと、特に「詩作に励む」ことを、若干の恥じらいや冷やかしを込めて « taquiner la muse »(ミューズをからかう)と表現します。

I-10. バッカスの栄光の中で

ディオニュソスの旅の始まりは、狂気に他なりませんでした。では、酒神が人々にもたらすものは、喜びか、はたまた狂気か。

楽しいことや美味しいものも、行き過ぎては後悔することになりかねません。何かを失ってから狂気の沙汰と振り返っても、もう遅いのです。

過剰摂取にはくれぐれもご注意を。

ゼウスの腿から誕生を果たしたディオニュソスでしたが、父の庇陰も虚しくヘラに目を付けられ、長い苦難の道を歩むことになります。彼は、ヘラによって育ての親に狂気を吹き込まれ住処を失い、ニンフたちに匿われて成長した後、これまたヘラのせいで狂気に侵され、転々と地上を彷徨います。この間、ぶどうの木を発見したディオニュソスは、ぶどう作りや酒の神として、熱狂的な信者を獲得していきます。

William-Adolphe Bouguereau《バッカスの青春》1884

ディオニュソスの異名バッコスが転じてローマ神話名バッカスとなりましたが、 « être dans la gloire de Bacchus »(バッカスの栄光の中にいる)と言えばすなわち「酔っている」という意味になります。酒の神を崇める儀式となればその狂乱の程は恐ろしいもので、今日 « une bacchanale »(バッカス祭)は単に「乱痴気騒ぎ」を意味する言葉ですが、伝わるところ数千人もの告発者を出す危険な祭りであったようです。