III-3. ピグマリオン

やっと咲かせた夢。

その喜びを、想い募らせた日々を、いつまでも忘れずにいたいですね。

傍らの花は、遠くの星のように輝き続けるものではないけれど。

Louis-Jean-François Lagrenée《ピグマリオンとガラテ》1777

女神アフロディテは、キテイラ島の地を踏んだ後キプロス島に流れ着き、以来、この地はアフロディテ崇拝の中心地となりました。島の王ピグマリオンは、現実の女性には見向きもしません。やがて女神をイメージして自ら理想の女性像を彫刻し、恋い慕うようになります。その様はあたかも生身の女性に接するかのようで、動かぬ像に服を着せ、食事を供し、愛を語りかける日々。この熱意に応えたアフロディテが像に生命を吹き込み、ピグマリオンは晴れて彼女を妻に迎えたのでした。

« Un pygmalion »(ピグマリオン)の名は、「恋する相手を教え育てて恋を成就させる人」を指す慣用表現となりました。あたかも『源氏物語』の主人公・光源氏が、幼い紫上にそうしたように…。

III-2. ナルシスとエコー

目には目を、歯には歯を。

ならば、愛には愛を返せたなら、どんなに良いでしょう。

悲しみがこだますることのないように…、そう上手くはいかないのが人間だと、わかってはいるのですけれど。

美青年ナルシスの「自己陶酔者」« un narcisse »(ナルシス)ぶりは筋金入り。自身の美しさを誇り、言い寄る者すべてをはねつけます。可哀想なニンフのエコーもそのひとり。恋に落ちた時、エコーはおしゃべりをヘラに咎められ、他人のせりふの末尾の言葉を真似て返すことしか出来ない身でした。そんな彼女をナルシスが受け入れるはずもなく、悲しみに打ちひしがれて姿を失い、声だけが残ったニンフは「木霊」« un écho »(エコー)となり、今なお、恋人たちのささやかな恋煩いを繰り返し唱えています。

Nicolas Poussin《エコーとナルシス》c.1630

ナルシスには、復讐の女神から罰が下りました。彼は他の者が彼を愛したのと同様に彼自身を愛することが出来るけれども、他の者の愛が受け入れられなかったのと同様に、彼の愛が受け入れられることはないのです。こうして水面に映った自身の影に恋い焦がれることとなったナルシスは、みるみるやせ細り、やがて息絶えました。そこにはただ、一本の水仙(un narcisse)が残ったといいます。

III-1. パンドラの箱

神々や英雄のみならず、魅力的な人間が数多く登場するのもギリシア神話の楽しみです。個別のエピソードがよく知られ、彼・彼女らの名をしてその特徴を持つ人・物を形容することがしばしばあります。

まずは、地上初の女性、パンドラのお話。

人間だもの。あれもこれも、ぜんぶ欲しくなってしまうし、いけないとわかっていても、我慢できるものじゃない。

だけど、「やってしまった」と気付いた時にはもう…、ううん、諦めるのは、まだ早いかもしれませんよ。

プロメテウスに火を盗まれたゼウスが、人間への復讐のために泥から作らしめたパンドラには、“すべての賜物を与えられた女”なる名の通り、あらゆる魅力が神々から授けられました。そして彼女は、“開けてはならない”ひとつの箱を持たされて、地上へと送り出されたのです。行き先は、プロメテウスの弟、エピメテウスの所でした。

この男は、兄の再三の忠告にもかかわらず、パンドラを妻としました。禁止されるとますますしたくなるのが人間の性なのです。『浦島太郎』も玉手箱を開けずにはいられませんでしたが、それはパンドラとて同様でした。彼女が箱を開けた途端、中から飛び出したのはありとあらゆる災厄でした。慌てて蓋を閉じた時には、“希望”のみが底に残ったといいます。

John William Waterhouse《パンドラ》1896

こうして« la boîte de Pandore »(パンドラの箱)が「諸悪の根源」となったわけですが、人間は幾多の困難に苛まれてもなお、希望だけはその身に携えて生きるのです。