II-4. ネッソスの衣

ヘラクレスがこの世で迎えた最期は痛ましいものでした。

最強の英雄を自ら死に向かわせるほどの痛みを引き起こしたのは、妻が差し向けた「恋の薬」だったのです。

心を引き裂くような激しい恋情は、相手を縛り、苦しめる呪いになりかねません。

オムパレへの奉公期間を終えた後、幾多の冒険を経たヘラクレスは、カリドンの王女デイアネイラを三番目の妻に迎えます。ある時、ヘラクレスが妻と息子を伴ってエウエノス河を渡る際、渡し守であったケンタウロス(馬の四肢に人間の上半身を持つ半獣人族)のネッソスが妻を犯そうとしたので、ヘラクレスはこれを矢で射抜きました。ネッソスは事切れる寸前に、自分の血液と精液を混ぜたものが強力な恋の薬になるとデイアネイラに言い含め、信じた彼女はそれを秘かに取っておくことにしました。

オウィディウス『変身物語』、第9巻、99-133行、Wilhelm Baur (1600-1640) による挿絵《ヘラクレス、ネッソスとデイアネイラ》

時は流れ、ヘラクレスはオイカリアを攻略し、王女イオレを捕虜としました。これを知ったデイアネイラは、夫の愛を失うことを恐れて、ネッソスの体液を夫の下着に染み込ませてヘラクレスに送りつけます。ヘラクレスが何の疑いもなくそれを着ると、ゆっくりと「薬」が効き始めました。布は皮膚にこびり付き、剥がそうとすれば肉もろとも崩れ落ちます。デイアネイラが恋の薬と信じたネッソスの体液には、ヘラクレスがこれを射抜いた矢尻に塗り込まれたヒュドラの猛毒が含まれていたからです。英雄を苦しめたこの « la tunique de Nessus »(ネッソスの衣)は、「毒入りの贈り物」、あるいは抽象的に「心を引き裂くような情熱」、「精神的な束縛」を意味する表現になりました。ヘラクレスは無惨な姿のまま妻の元に運ばれ、デイアネイラは自らがしでかしたことを悟って首をくくりました。

Samuel Morse《死にゆくヘラクレス》v.1812

痛みに耐えかねたヘラクレスは山の頂に薪を積んで横たわり、火を点けるよう頼みましたが、誰もがそれを渋ります。ただひとり、通りかかったポイアスがその役目を引き受け、ヘラクレスは謝礼として自分の弓矢を彼に与えました。この弓矢は後にポイアスから息子ピロクテテスの手に渡り、トロイア戦争で活躍することになります。

一方、燃え盛る炎の中から、雷鳴と共に舞い降りた雲によって天に運び上げられたヘラクレスは、ヘラと和解して親子の契りを結び、その名に相応しく神々の仲間入りを果たしました。というのも、かつてアポロン神殿の巫女たちが彼に与えた「ヘラクレス」の名の意味するところは、「ヘラの栄光」だったのです。