III-1. パンドラの箱

神々や英雄のみならず、魅力的な人間が数多く登場するのもギリシア神話の楽しみです。個別のエピソードがよく知られ、彼・彼女らの名をしてその特徴を持つ人・物を形容することがしばしばあります。

まずは、地上初の女性、パンドラのお話。

人間だもの。あれもこれも、ぜんぶ欲しくなってしまうし、いけないとわかっていても、我慢できるものじゃない。

だけど、「やってしまった」と気付いた時にはもう…、ううん、諦めるのは、まだ早いかもしれませんよ。

プロメテウスに火を盗まれたゼウスが、人間への復讐のために泥から作らしめたパンドラには、“すべての賜物を与えられた女”なる名の通り、あらゆる魅力が神々から授けられました。そして彼女は、“開けてはならない”ひとつの箱を持たされて、地上へと送り出されたのです。行き先は、プロメテウスの弟、エピメテウスの所でした。

この男は、兄の再三の忠告にもかかわらず、パンドラを妻としました。禁止されるとますますしたくなるのが人間の性なのです。『浦島太郎』も玉手箱を開けずにはいられませんでしたが、それはパンドラとて同様でした。彼女が箱を開けた途端、中から飛び出したのはありとあらゆる災厄でした。慌てて蓋を閉じた時には、“希望”のみが底に残ったといいます。

John William Waterhouse《パンドラ》1896

こうして« la boîte de Pandore »(パンドラの箱)が「諸悪の根源」となったわけですが、人間は幾多の困難に苛まれてもなお、希望だけはその身に携えて生きるのです。

II-16. アリアドネの糸

どんな困難な状況にも、解決の糸口はあるはず。

掴んだなら、決して離すことのないように。強く、かたく握っていてください。

少しずつでも着実に、手繰り寄せていきましょう。

アテナイに辿り着いたテセウスは晴れて王子として迎えられ、保身のために彼を殺そうと企てた魔女メデイアは追放されました(参照:プロクルステスの寝台)。この頃アテナイはクレタ島の王ミノスの支配を受けており、半人半牛の怪物ミノタウロスの餌として少年少女を捧げるよう要求されていました。英雄は敢えて自ら生贄の列に加わります。怪物は名工ダイダロス(後述)の造った迷宮に閉じ込められており、入った者は二度と出られないとされていましたが、これに果敢に挑むテセウスを手助けしたのが、ミノスの娘、王女アリアドネでした。

Angelica Kauffmann《テセウスに毛糸玉をわたすアリアドネ》(18世紀)

テセウスに恋したアリアドネは、英雄が道を見失うことのないよう、道しるべとなる糸玉を授けます。テセウスは怪物を退治した後、この糸を手繰って、迷宮を無事に脱出したのでした。

このことから、« le fil d’Ariane »(アリアドネの糸)は「正しい道のりを教えてくれる手掛かり」を意味する慣用表現となりました。この「糸」の意味が広がって「一連の物事の正常な流れ」を示すものとなり、« perdre le fil »(糸を失う)といえば、「議論にもう進展がない」ことや「これ以上理解することが出来なくなる」ことを意味するのです。

II-15. プロクルステスの寝台

頭と寝床はふかふかと柔らかく保ちたいものです。

自分のものさしで他人を測るようなことは、時として相手にむごい苦痛を与えることにもなりかねませんから。

ちょっと頑なになってしまう時は、自分の身体に合ったベッドで、ゆっくり休んでみてください。

アルゴ船を率いたイアソンは、コルキスの王女メデイアの助けを得て金羊毛を手に入れ、イオルコスに帰還します。しかし魔女メデイアが英雄のためにおこなった残虐行為の数々は度を越しており、国を追われた二人はコリントに移ります。しばらくは平穏な暮らしが続いたものの、コリント王クレオンがイアソンを娘婿にと目をつけ、イアソンもこれに応じたために、嫉妬に狂った魔女の復讐がもたらされることとなります。メデイアはイアソンからすべてを奪い、悲嘆にくれる彼をひとり残して、自らはアテナイ王アイゲウスの下に身を寄せます。

アイゲウスの息子であるテセウスもまた、名だたる英雄に数えられますが、彼は素性を明かされぬままトロイゼンの母の元で育てられました。青年となり自らの出自を知ったテセウスは、父王に認めてもらうため、敢えて危険な道を通ってアテナイへ向かいます。英雄が道すがら掃討した数多の悪人のうちのひとりがプロクルステスでした。この盗賊は横になる場所を貸してやると言って旅人をベッドに寝かせては、ベッドに合わせて人体を引き伸ばしたり切り縮めたりして殺していたのです。このことから、« un lit de Procuste »(プロクルステスの寝台)は、「杓子定規」であることや、「暴力的な改竄」のことを意味します。

19世紀のドイツの雑誌「Berliner Wespen」に掲載されたビスマルクに対する風刺画(作者不詳、1878/8/30)

II-14. オオヤマネコの眼

雲を越え、岩を越え。

地の果てまで見渡せる眼があったなら、あなたは、どんな景色が見たいですか。

どんな場所を、目指していきたいですか。

話はトロイア戦争以前に遡ります。イオルコスの王子イアソンは、叔父にあたるペリアスから父の王国を取り戻すため、コスキスの金羊毛を求め、50余人の英雄たちを率いて船の旅に出立しました。これはホメロスの叙事詩においても周知の事実となっている冒険物語で、アルゴ船で航海した名だたる英雄たちをアルゴナウタイと総称します。

Abraham Orteliusの「パレルゴン」1624年復刻版より、ロドス島のアポロニウスの『アルゴナウティカ』に基づくアルゴナウタイの航海図

そのひとりが、メセニアの王子リュンケウスでした。アルゴナウタイはそれぞれが特別な天賦の才能を持っており、彼の才能は障壁をすり抜けて物を見る力、いわゆる千里眼でした。« Avoir des yeux de lynx »(オオヤマネコの眼を持つ)という表現は、動物のオオヤマネコに由来すると思われがちですが、元を辿れば英雄リュンケウス (Lyncée) の名にちなむもので、この英雄の眼のように「非常に良く視えること」、あるいはより抽象的な意味で「慧眼であること」を指して用いられます。

II-13. オデュッセウスの犬

形あるものは何ひとつとして、時の流れに身を置くことを免れないけれど。

幾星霜を経ても変わらないものが、確かに感じられるのです。

目に見えなくとも、手に取れなくとも。

オデュッセウスが長い旅路の末に妻ペネロペの待つイタケ国に辿り着いた時(参照:ペネロペの布)、彼は邸に押し寄せる輩を欺くため、女神アテナの助力によって年老いた乞食に成りすましていました。この姿を見てすぐに正体に気付いたのは、彼の愛犬アルゴスのみでした。老犬は主人を認めるやいなや、力を振り絞って喜びを示した後、その場で息絶えたといいます。このことから、« le chien d’Ulysse »(オデュッセウスの犬)は「非常に忠実であること」のシンボルになりました。ギリシア神話の「忠犬ハチ公」といったところでしょうか。

『オデュッセウス』(1835)、John Flaxman による挿絵《主人を認めて喜びのうちに死すアルゴス》

II-12. ペネロペの布

旅立つ背中を見送ってから、眠れない夜を何度数えたことでしょう。

帰る場所を守るため、変わらない日々を紡ぐのもまた、試練なのかもしれません。

イタケの王オデュッセウスが長い冒険に身を投じている間、故郷に残された妻や息子にも、それぞれの闘いがありました。『オデュッセイア』は、英雄の家族の物語でもあるのです。

英雄の出国時には生まれたばかりだった息子テレマコスが青年に達する頃。オデュッセウスの帰郷があまりにも遅いので、イタケでは王はすでに死んだものと噂されていました。そんな中、テレマコスは父の行方を求めて自らも旅に出ます。

John William Waterhouse《ペネロペと求婚者たち》1912

一方で妻ペネロペは、邸に押し寄せる数多の男たちの求婚を懸命に退けていました。今織っている布が出来上がったら結婚を考えるという条件を出して、彼らを待たせたのです。昼間に布を織り、夜になるとひそかに解きほぐして、翌日また織る。この繰り返しですから、布が出来上がるはずもないのですが。こうして3年間をやり過ごした « un toile de Pénélope »(ペネロペの布)は、「際限なく繰り返される仕事」を意味する慣用表現となりました。

夫を信じて待ち続けたペネロペの忍耐は報われ、20年ぶりにイタケの地を踏んだオデュッセウスは同時期に帰国していた息子と手を組んで求婚者たちを蹴散らし、家族は再会を果たすこととなります。

II-11. オデュッセイア

一難去ってまた一難。

人生は長い旅路のようなもので、理不尽に見舞われることも多々あるでしょう。

それでも乗り越えていけるのは、帰る場所があってこそです。

ホメロスのもうひとつの作品とされる『オデュッセイア』は、トロイア戦争を描いた『イリアス』の続編にあたります。物語の主人公はイタケの王オデュッセウス。ギリシア勢きっての知将で、あのトロイの木馬作戦を考案し、ギリシアを勝利に導いたのも彼でした。

叙事詩が描くのは、この英雄の帰国譚です。10年にわたる戦争が終結した後、妻の待つ故郷を目指して出航したオデュッセウスですが、彼が幾多の困難を乗り越えて国にたどり着くまでにはさらに10年もの年月を要することになります。というのも、旅の途中でひとつ目巨人ポリュペモスに捕らえられた英雄は、やはり巧みに逃げおおせますが、その際に巨人の目を潰して侮辱したために、巨人の父である海神ポセイドンの根深い恨みを買ったのでした。

Jacob Jordaens《ポリュペモスの洞窟にいるオデュッセウス》17世紀初頭

彼の経験したような「波乱万丈の冒険や人生」を、作品名をとって « une odyssée »(オデュッセイア)と表すことがあります。

II-10. トロイの木馬

ヘトヘトに倦み疲れたところで、突如として目の前に希望が現れたのなら、一度ならず目をこすって、よくよく確かめてみましょう。

いっぱいいっぱいの状態では尚のこと、正常な判断が難しくなるものですから。

戦争は長きに渡りましたが、トロイアの陥落はあっけないものでした。それは、難攻不落のトロイアを前に、ギリシアの勢いが失せたように思われたある日のこと。夜が開けると、忽然と静まり返った戦地に、巨大な木馬が現れました。傍らにはギリシア人がひとり。聞けば、彼は神々の怒りを鎮めるための供物として取り残されたのであり、木馬は退却したギリシア勢から女神アテナへの捧げ物だというのです。木馬をこれほど大きく造ったのは、アテナの加護をもたらすと予言されたこの木馬を、トロイア人が城内に引き入れることのできないようにするためだ、と。これを訝しみ異を唱えた者が公衆の面前で蛇に襲われるという災難に見舞われたのもあって、トロイア王は男の証言をすっかり信じます。

Giandomenico Tiepolo《トロイの木馬の行進》v.1760

人々は城壁を破壊して木馬を運び込み、勝利の宴を挙げました。その晩、辺りがすっかり寝静まった頃。木馬の腹を裂いて、ギリシアの英雄たちが飛び出しました。これがトロイアの最後となったのです。このことから、「悪意のある贈り物」や、いわゆる「潜入工作」のことを « le cheval de Troie » (トロイの木馬)と呼ぶようになりました。

II-9. アキレウスのかかと

守ってくれる人、助けてくれる人、支えてくれる人。周りを見渡してみると、どこかにぬくもりが感じられるのではないでしょうか。

しかし誰しも完璧ではいられないもの。

優しさに恵まれていても、油断は禁物です。

戦場に戻ったアキレウスは数々の武勲を立てます。ところが、この英雄には唯一の弱みがありました。というのも、アキレウスが生まれた時、女神テティスは自らが産んだこの子を不死の身体に仕立てようと冥界の河に浸しましたが、彼女がつかんでいたかかとだけが水に触れず、生身のままに残ったのです。

Antoine Borel《息子アキレウスをステュクス川の水に浸すテティス》18世紀

このことから、 « le talon d’Achille »(アキレウスのかかと)、すなわち「アキレス腱」に当たる部分が、「弱点」、「急所」を指す慣用表現となりました。『イリアス』においてアキレウスは親友の仇ヘクトルを討ち取りますが(参照:テントに引きこもるアキレウス)、叙事詩が幕を下ろした後、やがて、パリスにかかとを射抜かれて深手を負い、命を落とします。